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名古屋最大の農業用水 庄内用水……といっても、都市化がすすんだ今日では名古屋に住んでいる人でさえ、知らない人の方が多いのではないだろうか。 肥沃な穀倉地帯であった濃尾平野。農業の生産力が名古屋の発展を支え、その中心だった稲作農業を支えたのは用水だったのである。 |
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| ◇木曽川からの助水を受ける 明治16年(1883)の新木津用水改修にあたっては、愛知郡内の町村は2,100円を寄付している。その後も庄内用水普通水利組合から木津用水普通水利組合に対し毎年50~500円の寄付をして、万一渇水になった時の助水を頼んできた。 明治42年(1909)は70日余り雨が降らず、田は乾き稲は枯れかけてきた。手を尽くしても何ともし難く、やむを得ず助水を頼み乗り越えている。大正13年(1924)6月も大変な旱魃(かんばつ)になり、農民たちが水争いを起こすほどであった。しかし25・26日に助水を受けたところ、たちまち水が行きわたり争いは解決している。 ◇潅漑区域の都市化…潅漑区域・水路が減少 明治37年(1904)には北・西・中村・中川・熱田・港区の3,908㏊もの美田をうるおしていたが、都市化とともに東井筋と米野井筋は埋め立てられ、平成18年(2006)度には市南西部にわずか50㏊を潅漑するだけになっている。 一方時代の変化とともに庄内用水も新しい役割を担うようになった。昭和36年(1961)からは市の工業用水としても使われている。 |
![]() 『庄内用水灌漑区域図』 大正6~10年頃 |
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