御用水で潅漑
辻 村

 辻村の東を御用水が流れている。御用水は名古屋城の堀へ庄内川から水を補充するために開削されたが、農業用水にも使われていた。このあたりの地形は東から西へと低くなっており、辻村で御用水から分水した水路で辻村とその西に立地する安井村と光音寺村へ水を送り農業用水に使われていた。




 『尾張徇行記』には御用水から辻村への取水口についての記載はないが、「川村定井組三二四石四斗」と記載され、御用水の水で潅漑していたことが分かる。辻村の元高は462石4斗8升6合でそれには畑も含まれているので、田のほとんどは御用水により灌漑していたようだ。

 村絵図を見ると矢田川伏越を出たすぐ南で御用水から取水し、1本はまっすぐに西へ流れて安井村へ続いている。これは他の用水より太く書かれ、「弐ケ村用水筋」の書き込みがあり、安井村と光音寺村へ水を送っている。また水路北の伏越出口近くには、新田が4か所ある。
 もう1本は御用水の西側に沿って南へ流れて、途中で2つに分流し、1本は集落の南へ、もう1本は南部の田へ流れている。

『辻村絵図』

 集落の東では「古堤通本田畑」と書かれた微高地が矢田川堤防から修善寺と神明社(羊神社)を通り東ヘと延びている。
 ここは、以前の矢田川堤防跡を開墾したものだ。羊神社の社殿が高いところに建っているのは、この自然堤防上に建立されたからである。

 また、羊神社などの北は字名が「川田」で、田から水が湧き出す低湿地であったことを物語っている。


『辻村絵図』


 2026/01/26